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交換留学プログラム

 

留学を通して私が見つけたこと、感じたこと

 私は、2012年の2月から2013年の1月まで中国吉林大学にキャンパス・アジアと呼ばれる交換留学プログラムとして約一年間留学しました。このキャンパス・アジアという交換留学プログラムは、日本の岡山大学、中国の吉林大学、韓国の成均館大学、この三大学からなる交換留学プログラムで、各大学に交換留学生を派遣し、語学習得に加えて、自分の専門科目を現地で自由に履修し、単位取得後、それぞれが元の大学に戻り、留学先で取得した単位を自分の大学の単位として認定するという目的と、世界に通用するグローバルな人材を育成することを目的としている交換留学プログラムです。

 では、なぜ私がこの交換留学プログラムに参加しようと決意するに至ったか?ですが、とりわけ中国に興味があって、中国語をなんとしても習得したいといったような一般的な志望理由ではありませんでした。私は、大学入学後、それなりに自分の生活には満足していて、講義も一般程度に真面目に受けていて、部活にも当時は所属していて、アルバイトも長い間続けていたので、毎日比較的楽しく過ごすことができていました。しかし、二年生になってから時々考えることがあって、「毎日同じような生活を淡々と過ごし、とりわけ大きなことがあるわけでもないこの大学生活。もう残り2年ほどしかない学生生活をこのままで終わらせてしまってよいのだろうか?人と同じように毎日を過ごして、それで自分には特異性と呼べるものはあるのだろうか?」と思うように至ったわけです。その時に出会ったのが、このキャンパス・アジアという交換留学プログラムでした。中国語を履修したことが無く、まったくできない自分にとっては、かなりハードルの高い交換留学プログラムであり、行く行くは自分の専門科目を現地の中国人本科生と一緒に受ける必要があり、それなりの覚悟を強いられるものでした。ですが、逆に難易度の高いことだからこそ、この留学を自分の中で納得がいく人生の中で二度と忘れられないようなものにすることができれば、学生生活をいい形で締めくくることができるのではないか、とも思ったわけです。人が普通、やるのを躊躇するようなことをあえて挑戦してみたい。それがその時素直に感じたことです。なので、この交換留学プログラムの存在を知ってから、応募するに至るまでさほど迷うことはありませんでした。

 結果、キャンパス・アジアの一員として選ばれ、この留学生活がスタートしました。では、まず最初に留学先について紹介しておきます。中華人民共和国吉林省長春市と呼ばれる都市で、中国の東北部に位置します。世界地図で簡単に言えば、北朝鮮よりも北方に位置します。日本が侵略をしていた頃の満州国の首都であり、当時の名を新京といいます。この名を聞けばなんとなく分かる人もいるのではないでしょうか。比較的大きな都市で、人口も多いほうだと思います。工業が発達していて、特に自動車産業が盛んです。気候ですが、ものすごく寒いです。冬が長く、9月末頃からだんだんと寒くなり、5月末くらいまでずっと寒い日が続きます。氷点下30_近くいく日もあり、それ相応の対策をとって外出しないと凍え死んでしまいます。長春という街の名の由来は、なるべく長い春であってほしいとの人々の願望を表しているそうです。街の発展状況ですが、一概に発達しているとは言いがたいです。自動車産業が盛んなせいか、やたら高級車はよく見かけたりはするのですが、日本のように街並みが整然としているわけではなく、道路の補修が間に合っていない箇所があったり、ゴミがあちらこちらに散らかっていて、街中には大勢の清掃員が毎日街を清掃しているといった状況です。これは、現地で、ある60代ほどの日本人に聞いたことなのですが、ゴミが散らかっていることを除くと、まるで30年か40年前の日本の風景に似ていると言っていました。街の発展は現在ではそういった感じです。2012年の夏から長春では大規模な交通機関の拡張をするための工事が始まり、各所で高速道路の建設や、地下鉄の工事が同時に始まって、それに伴い、交通機関の乱れや、渋滞も深刻な問題となりました。しかし、現地の中国人の友達が、長春は1年ごとに大きく変化している。10年前と今ではまったく違う都市だ。とも言ってました。そのことから、急速に発展中である都市であることは自分の目から見ても感じ取れました。食事についてですが、正直に申し上げますと、日本人にはあまり合わないものが多いのではないかと思います。私は比較的油っこいものも食べられる方ではあるのですが、それでもこちらの料理の油の量は半端ではないです。日本人の体の体質に合わない料理が多いので、多くの学生がお腹を壊すのは日常茶飯事でした。私は、留学が始まって3ヶ月ほど経った頃に自分は何を食べて何を食べないようにするか決めていて、ほぼ毎日麺類+野菜類を食べていた気がします。正直飽きましたが、何も食べないわけにはいかないので。どのような食生活を送るかということは悩みの種の一つでした。

 買い物についてですが、これに関しては日本での生活とあまり変わりはありません。普通にどこでもスーパーマーケットはありますし、地下街やデパートもあったり、日本の物が恋しくなれば少し高値ではありますが、手に入れることもできます。普通のスーパーや地下街では、やはり物価が安いのでついついたくさん物を買ってしまいがちになります。物価ですが、一概には言えないのですが、自分が感じている物価比は日本と比べて3対1くらいでしょうか。食堂などに行くとそれよりもはるかに安い気もするし、逆に電化製品を買いに行くと有名なメーカーであれば、日本と同じ値段もしくは日本より高かったりもするので、一概には言えないというわけです。では、現地の方の収入についてですが、これには少し驚きました。仮に物価比が3対1とするならば、給料比も3対1くらいかと思っていましたが、この予想を遥かに下回っていて、大学卒の一般の職種の初任給は3000元、日本円に換算すると4万円です。日本の大学卒の初任給は18万~20万円くらいでしょうか。そう考えると給料にはかなりの差が感じられます。よって、こちらでの一般的な人々の生活はとても裕福とは言えないでしょう。普通に生活はしていけるぐらいの給料です。

 ただ、中国では一つ深刻な社会問題を抱えていて、この給料から見てのとおり、このようでは家など買えるでしょうか?日本ほど高いわけではありませんが、家はそれなりに高く、毎月2万円の給料ではとてもじゃありませんが買えません。そこで親に頼って家を買ったりする現象が増えています。中国語で啃老族といいます。自分なりに日本語訳すると、パラサイト・シングルが一番しっくりくるような気がします。一部のサイトなどではニートとも言われていますが、一応仕事しているけれど親に頼らざるを得ないという状況なので、ニートとは少し違います。では、これのどこが問題なのか自分なりに考えてみましたが、一点気づいたことがありました。中国では現在一人っ子政策によって、特別な状況を除き一世帯の子供は一人までと決まっています。なぜこの政策を用いるかといえば、言わなくても分かるとは思いますが、人口を抑えるためです。日本ではこのような政策なしでも人口が減少している上に少子高齢化が進んでいることに歯止めが利かないのは周知の事実だと思います。では、仮に中国の人口が減少したところで必ず発生するのは日本を見ての通り少子高齢化です。政策の名の通り、一人っ子ですから、親二人に対し子供一人なわけです。その子供が成人してからも親に頼りっぱなしの生活をしていて、その親が退職し老後を迎える頃に、子供、親ともに十分な貯蓄があるのでしょうか?親は子の為に家のローンを組み、子は親に頼りっぱなしなのでもちろん親を養うほどの財力があるかないかと言われれば、ないでしょう。つまりは、この啃老族という社会問題をなんとかして解決しなければ、将来少子高齢化を迎えたときに、高齢者の支え手であるはずの若い世代の人間が、莫大な数の高齢者支えきれないという現象が発生しかねないということです。ではどうやってこの問題を解決するかですが、やはり一番は所得を増やすことが大事だと思います。日本の歴史を振り返ってみると、1960年、池田隼人内閣の下で閣議決定された「所得倍増計画」。結果、日本は稀に見る経済成長を達成し、所得はたった7年で倍にまで到達しました。また、共産勢力の拡大も抑制でき、資本主義大国の基礎を築き上げたわけです。つまり今の日本は元を辿れば池田隼人のこの「所得倍増計画」によって、安定を得たわけです。国民が豊かでなければ、国の安寧も維持できないのではないかと私は思います。もう一方で、賃金の上昇率よりも物件の価格の上昇率が高くなるのをなんとかして抑えることも大事だと思います。それに加えて、福祉国家の実現です。高齢化が進んでしまう以上、誰かがその高齢者を支えなければいけないわけです。若い世代にその財力がないのであれば、必然と社会保障制度の充実が求められます。日本では社会保障制度について国民も合わせて真剣に取り組んでいる問題ですが、中国ではまだ完全とはいえない社会保障制度だと思います。これら三つは、全て中国政府が積極的に介入して政策を施さなければ永遠に解決できない問題でしょう。以上が、私の留学した長春、そして中国国内の状況といった感じです。

 やっと、私自身の留学がどうであったかという本題に入りますが、中国に来た当初は本当にお手上げ状態でした。誰か中国語ができる人に手伝ってもらわないと、買い物さえできない状態で、本当にこんな感じで一年後には中国語を話せるようになって帰れるのだろうか不安でした。また、ほとんどの留学生が自国で中国語を学んだ後にこちらに来てさらに語学力を高めるといった人が多くて、周りに圧倒されることもよくありました。一ヵ月、二ヵ月と経っても語学の成長を感じ取ることがなかなかできず、辛い思いばかりしていましたが、三ヵ月目のある出来事を機会に私の中国語に劇的な変化をもたらしました。それは、北京への旅行です。日本から友達が一人北京に遊びに来て、合流して一緒に観光するというものでした。私の友達は中国語が話せないので、どこに行くにしても私がなんとかしないといけません。でも、思ったよりも自分の伝えたいことをそのまま伝えることができ、スムーズに観光してまわることができたので、その時やっと初めて自分の語学の成長を感じ取ることができたのです。とりわけ、万里の長城に行くときに様々な出来事がありました。万里の長城に行くには、方法がいくつかあって、一つ目は電車に乗って行く方法。二つ目はバスに乗って行く方法。三つ目はタクシーに乗って行く方法があります。一般的には、電車に乗って行くのが一番楽で値段も安価なのですが、そのためたくさんの人が電車に殺到します。早めに駅に行って切符を買いに行ったつもりでしたが、朝早いうちに一日の電車の切符は売り切れていて、バスで行くかタクシーで行くかのどちらかしかありませんでした。なんせ学生なのでお金がありません。タクシーで行くとなると、中国とはいっても北京北駅から往復で7500円かかります。ならバスで、とも考えましたが、二時間近く乗って山道越えていくとなると立ちっぱなしは正直辛いかなと思い、悩んでいたところに、同じように悩んでいた日本人観光客が五人いました。彼らはトヨタ関係の天津支部の社員さんらしく、万里の長城に行きたいけれど中国語が話せないからどうしようもないという感じでした。そこで、お互い助け合いということで、タクシー代は全て社員さんたちが負担し、その代わりに通訳を頼まれたわけです。というわけで、タクシー二台に分乗し、片方とは電話を使ってタクシー運転手と値段等を交渉しました。私が乗ったタクシーの運転手は一般的な額の600元を提示してきましたが、もう片方のタクシーの運転手は800元を提示してきたので、ちょっと腹が立って、「ふざけるな、日本人だと思って騙すのやめろ。」と強気で応答すると、観念したかのように、600元でいい。と言いました。往復四時間ほどの道のりなので、行きも帰りもずっとタクシー運転手と中国語で会話していたのですが、普通に四時間も会話を続けることができていたので、来た当初と比べれば遥かに成長したことを感じ取ることができ、旅行が終わったらさらに頑張って語学を伸ばそうと意欲も高まり自信にもつながりました。こういった感じで前期は終わり、後期に入っていくわけですが、後期は前期と比べて正直とても忙しかったイメージしかありません。特に大変だったのは当初の目的である専門科目の履修でした。私たちはキャンパス・アジア一期生ということで、各制度も完全には確立されていないままのスタートだったので、学生自身が派遣先の大学の制度を確認したり、自ら各専門の学部に赴き、交渉するといったことが求められる機会が多く、ネイティブほどの語学力を持っていない私たちにとって、各々が経験したこともないような交渉を母国語ではない言語で行うというのは、とても大変なものでした。岡山大学の履修に関する制度と吉林大学の制度はまったく異なるもので、吉林大学では各学部にそれぞれ特有な留学生用の履修登録の制度があったり、履修登録は必要なく適当に受けたい講義を受講するといった法学院のような制度であったり、大学一年生とそれ以上との学年で学校が始まる時期が違う、履修登録を問題沙汰していた頃にはすでに大学一年生以外の講義は始まっていた、講義内容を確認するためのシラバスのようなものは存在せず、時間割表のみ配布されるのは一般的である。といったような、日本の大学にいては想像もつかないような常識が、ここでは当たり前なわけです。やはり人間は固定観念に縛られているものですから、そのように吉林大学側から説明を受けても日本の大学の制度が当たり前だと思っている私が納得いかないのです。というのも、私たち法学院の場合では履修登録はまったく必要なく自由に講義に参加し、期末考査も勝手に受ければいいとの説明を受けたので、これでは成績表をもらえるのか、単位は授与されるのかも怪しく、講義を真面目受けて、テストも受けたのに単位が授与されなかったのでは、なんのために受けたのか分からなくなるので、それが怖くて何度もしつこいくらいに、詳しい説明を求めに行きました。単位数、受講科目のテスト日、テストに登録制はあるか、テストは本科生と全く同じものか、テスト時に持ち込み可能な物、成績のつけ方、採点基準、成績表交付の日時、成績表の交付が帰国までに間に合わないのであれば、どのようにして岡山大学まで届けてもらうか、などなど。後期は語学に関して心配はさほどありませんでしたが、精神的に負担の大きい学期だったと思います。確かに専門科目の講義が始まった当初は、話すスピードと今までやってきたこととの内容の難易度が全く違うので予習、復習に相当手間取りましたが、専門用語も何度か聞くたびに慣れてきたので、後期半ば頃には講義内容もだいたい分かるようにはなっていました。それよりもやはり、これだけ頑張っても自分の手続き上の手違いで単位認定されないかもしれないといったことが恐ろしくて、疑問がある度尋ねに行き、問題が発生するたび早めの解決を図るといったことが結構大変だったと思います。講義に関してですが、私は、刑法学と中国法制史と法理学を専攻していましたが、とりわけ刑法学が楽しかったです。岡山大学ですでに刑法総論を履修していたので、日本の刑法と中国の刑法を比較することもできました。どの講義でも毎回パワーポイントを必ず用います。教科書に従って作成されたもので、簡潔にまとめてあるので、私は復習する際によく使っていました。講義の時間は日本では90分×1が普通ですが、こちらでは45分、間15分休憩、45分のスタンスです。正直45分の間に15分も休憩いらないと思います。テスト前に慌てたりしないように、なるべく復習と予習はするようにしていました。他には、教科書の内容を見てすぐ分かるように、大事な箇所には書き込みをするなど自分なりに工夫もしていました。一番大事なのは、とにかく教科書の内容はとても長いので、講義にしっかりと参加して、教科書を参照しながら、要る部分と要らない部分を教授が言っていることをよく聞きながら自分の中で明確にすればそれなりにテストでいい点が取れると思います。テスト前に全部教科書を覚えることは不可能です。事前に要る部分と要らない部分に分けておくことが大事だと思います。教授の口癖で、「大家注意,一定记住」(みなさん、絶対覚えてください)「大家都了解就可以」(みなさん、理解だけすればそれでいいです)注意して聞いているとそう言っているので、要るか要らないかの区別も簡単にできるかと思います。話は変わりますが、後期には新HSKも受験しました。10月には5級をうけて合格し、12月には6級をうけて合格しました。専門科目が忙しかったので,集中して準備に取り掛かれたわけではありませんが、なんとか合格することができました。結果を一つの形として表すことができたので、自分の中では満足しています。

 こういった感じで私の留学が終わりました。大変なことばかりでしたが、語学習得に加え、交渉力が身につき、自らが主体的に行動すること、そして何事にもコツコツと努力を惜しまず着々とすすめることなど長所が増えたと思います。たくさんの困難なことを乗り越え、達成してきたので、行く前の目標である、自分の納得のいくような留学にできたと思います。最後に、留学を考えている皆さんへ、留学の動機なんてなんでも構いません。ただ、現地に来てから無駄な時間を過ごさないようにどのように過ごし、どのような信念に基づいて自分の目標を達成していくかが大事だと私は思います。来てから目標を立ててもいいし、小さな目標でも構いません、絶対に自分はそれだけは達成し、得て日本に帰るんだ。という意気込みで充実した留学にしてほしいと思います。

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