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交換留学プログラム

 

留学生活を振り返って

 私が中国へ留学することを決めたのは、高校生の時から大学4年間のうちに、どこか外国に留学をしてみたいという漠然とした思いがずっとあり、大学1年生の夏休みに叔父が仕事で関連会社に1年ほど出向しているベトナムに、兄と一緒に2週間ほど滞在し、その中で、おじの仕事場の社員の方々やツアーで出会った各国、現地の人々と日本語やつたない英語でコミュニケーションを取ったり、食べ物や風習など生活習慣が異なる環境で生活にすることに楽しさを覚え、この2週間の経験を通し、それまで遠い欧米にばかりに目を向けてばかりいた視野がアジアまで広がり、日本から近いのというのによく知らないアジア各国についてもっと知りたい、行ってみて各国の文化に触れてみたいという考えをもつようになったことがきっかけであり、一昨年の12月にこのプログラムについて初めて知り、東アジアの中核的人材を育成するという理念、留学プログラムの内容に惹かれて、中国語をしゃべることはできないものの、このようなチャンスは二度とないと思い、迷うことなくすぐに募集しました。

 去年の3月、中国に来たばかりの頃、私は「你好(こんにちは)」「谢谢(ありがとう)」など簡単なあいさつしかできず、自己紹介もままならないような中国語のレベルで、買い物に行くにしても、日本語学科の学生や先輩に頼らずにはいれず、このままではいけないという思いと早く中国語を上達したいという焦りと不安でいっぱいでした。中国語の授業では、最初、初級上クラスからスタートしましたが、1週間授業を受けてみても一向に内容が聞き取れず、クラスメイトに話かけられても理解することができなかったので、ろくに返事もできず、彼らよりも能力がずいぶん劣っていることがとても惨めに感じ、このままこの留学生活をやっていけるのかという不安の気持ちでいっぱいで、ふさぎ込んでいました。毎日のように両親にこの悩みを聞いてもらうことで、やはり対外的なことを気にするより、まず中国語を理解することが先決だと思うようになり、思い切ってクラスをもう1ランク下げ、初級下クラスに編入することに決めました。初級下のクラスはアフリカ、中東の人が大半を占めており、顔の似たアジア系の人は少数で、途中で編入したので一人も友人がおらず、初めてこのクラスに入ったとき、彼らとコミュニケーションを取れるのか不安でした。そこで少し勇気も振り絞って、見た目が穏やかそうなアフリカ北東部にある国のジブチ人の女性の席の横に座り話しかけたことをきっかけに、他のクラスメイトともコミュニケーションをとれるようになってきました。特にジブチの彼女とは授業中に分からないことがあったらお互いに協力して教え合い、1日でも早く理解できるようにとお互いを励ましあいながら、2~3か月間大学の授業以外でも、町にある中国語教室に通いました。彼女以外にもクラスメイトの中には、幼児を連れて勉強しに来ているヨルダンの女性や、家庭を持ちながらも、家族の協力を得て、自分の事業を立ち上げるために中国に国際貿易を学びに来たモンゴルの女性や母国で大学の教授をしているスーダンの男性など夢に向かって挑戦している色々な立場の人たちと授業を通じて関われたことによって、自分の置かれている状況に関係なく、あきらめずに行動に起こすことで、可能性が広がるということを感じることが出来ました。授業以外では、極力日本人同士で固まらず、下手でも積極的にスーパーのおばさんやタクシーの運転手さんなど現地の人たちに話しかけ、暇を作っては中国人の友達と相互学習やショッピングをしたり、ご飯を一緒に食べたりして、日常の生活の中から、中国の風習や文化、中国人の考え方を楽しみながら学ぶことが出来ました。

 このようにして前期の授業が終わり、夏休みに突入した7月には河南省の開封にある中国人の友人の実家に行き3日泊まらせていただきました。彼女の実家は私たちが住んでいる長春より経済も発展しておらず、整備されていない道がたくさんあり、町には一つも公共機関がなく、人々の主な交通手段はバイクで、車でいっぱいの長春と全く違う光景でした。彼女と彼女の家族が方言で会話しているのが全く聞き取れなかったり、彼女の実家はすごく大きな家だけれどお風呂やトイレはすべて外にあったり、町中にウサギの肉などゲテモノの店がたくさんあるなど驚かされることも多かったです、3日間朝昼晩ともに、友達のお母さんの手作り料理を食べさせていただいたり、服を手洗いしたり、友人と一緒にスーパーなどに買い物に出かけたりするなどして、中国の田舎の一般家庭での生活を肌で感じるという貴重な体験をすることができました。旅行の後半は中国人の友人と一緒に洛陽と西安に旅行にも行きました。二人で世界遺産の龍門石窟や兵馬俑などの観光地に行き、楽しい時間を彼女と一緒に共有できたはとてもいい思い出です。やはり中国人と一緒に旅行するのは一人旅と違って安全で、何か問題が起こってもお互いに助け合うことができ、彼女がいるおかげでスムーズに観光することできました。その後、西安を2日間観光した後、彼女と別れて、4か月の勉強の成果を試すために北京に5日間、初めての一人旅をしました。北京での初日はホテルに着いて早々、事前に予約していたのにもかかわらず外国人お断りのホテルであるので、泊まることはできないときっぱり断られるハプニングに見舞われました。そこで誰に頼りたくても頼ることが出来ないので、必死になってホテルマンにアドバイスをもらって、新しいホテルを見つけることが出来ました。それから最終日までガイドブックを片手に、時には通りすがりの人に道を聞きながらも、計画通りに色々な観光地を巡り切ることができました。最終日の夜には死者が30名ほど出たと言われる洪水に見舞われるという災難がありました。そのため乗るはずだった地下鉄がとまり、ルートを変えたことで道にも迷いました。そんな中、見知らぬ男性の方が私の重たい荷物を持ってくれ、一緒になって地下鉄の乗り場を探して、駅までの切符を買ってくれました。そして電車が発車し見えなくなるまでずっと見送ってもらったことに中国の方の心の暖かさを感じ、今でも忘れられない出来事となりました。この夏の旅行を通じて、来た当初と比べて自分の成長を確かめること出来たと同時に中国をもっと好きになることが出来ました。

 8月には岡山大学の夏期短期留学生とともに、中国語の短期講座に参加させていただいたり、後期の授業に向けて、宿舎を南湖会館から友誼会館に引っ越したことで、以前より日本語学科の友達や、大学院生の友人と会う機会がもっと増えました。それぞれの友達と大体週に一回程度食堂や学校付近の店に食事をしに行き、そこでたわいもない話をするのがとても楽しく、時として日本人同士さえでも感じる心の距離をなぜか彼女たちからは全く感じられることがなく、不思議ととても打ち解けやすかったです。特に大学院生の友人は私が今まで出会った人の中で一番知識が豊富で、中国の政治などいろいろな分野について質問しても必ず納得のいく答えが返ってきて、彼女との毎日の夜の散歩はとても楽しいひと時でした。年が離れているせいか、彼女は私に妹のように接してくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。

 9月からは中国語の授業だけでなく、経済学部で中国人の学生と一緒に経済専門授業を受け始めました。受講した講義は西方経済原理(マクロ経済学)、政治経済学(マルクス社会主義)と会計学で、それらは中国語の授業と違って、先生の話すズピードはより早く、授業の内容も専門的で、この時点でも私の中国はまだまだで(今でもまだ難しいのですが…)、毎回の授業の度に必死になって聞き取ろうとしていました。中国の学生たちは日本の学生たちと異なり、授業中に先生の問いかけに大きな声で返答したり、自分の意見を発言したりするなど、積極的に授業に取り組み、休み時間にも大勢の学生たちが先生に分からないところを聞きに行ったり、休日でさえも朝早くから図書館に勉強に行き目的意識をもって学習する中国人学生の勤勉な姿勢に刺激を受け、これは日本人学生も見習うべきところだと痛感し、私も彼らのようにもっと努力して学習しようと決意を新たにしました。

 10月の国慶節のゴールデンウィークには上海や南通に住む中国人の友人に会いに行きました。硬いシートに片道30時間座りっぱなしの汽車での長旅は非常にハードなものでしたが、今となってはいい思い出です。

 11月からは12月の初めに実施されるHSK6級の試験に合格することを目標として、授業の予習・復習と並行して、専用テキストで毎日コツコツと勉強し、結果、念願の合格を果たせ、このことは自分にとっても大きな自信につながりました。

 12月は経済学の期末テストに向けて、ひたすら授業の復習をメインに行いました。特に政治経済学の専門書はわずか5ページの内容を把握・理解するのに3時間以上を要することもざらであり、経済学の勉強はいつも投げ出したくなる毎日でした。単位取得の結果はまだ出ていませんが、途中で投げ出すことなく最後まで頑張れたことは、今後の人生においてもプラスになることと信じています。

 またこの留学期間中に起こった日本の尖閣諸島国有化に端を発した中国での反日運動の高まりは私にとって衝撃的な出来事でした。青島での日本企業への放火等は報道を通じてよく知られていると思いますが、私の住んでいた長春市でもデモが起き、9~10月中はずっと町全体に中国の国旗があふれ、私たちがよく利用していた大学のスーパーでも内外に数えきれない国旗が掲げられ、外の電光掲示板には『钓鱼岛是中国的领土!(尖閣諸島は我々中国の領土だ!)』というメッセージがずっと流されていました。また学校付近の飲食店等でも日本人立ち入り禁止の看板を掲げる店も少なくなく、日本人であることを隠して中国人と一緒入店すると、壁には犬の顔の部分が野田首相(小泉元首相も)や石原前東京都知事となった犬の写真や、首相たちの顔が傷つけられたポスターが張られ、店内は異様な雰囲気に包まれていました。他にも宿舎の外にある日本の国旗が何者かに燃やされたり、日本人の友人と話しながら歩いていると、中国人の学生に罵声を浴びせられたこともありました。

 そんな状況下においても、本当に沢山の友人が「両国の政治と友情は全く関係がない。」と励まし、「外出の際には、極力日本語を話さないように・・・」などとメール等で注意をしてくれました。中国全体がたとえどんなに反日感情が高まっている中でも、今までと変わらずに接してくれる友人たちの優しさに本当に感動しました。

 しかし、そんな中国人の友人たちでも領有権の主張を止めることはなく、日中双方がこのまま自国の領有権を主張する限り、この問題の解決は不可能のように見えます。解決の糸口も見えない現状では、これからも話し合いを継続していくしかないと思います。これからの話し合いの中で、双方に良い解決方法が見つかることを願うばかりです。

 日中国交正常化40年間以来、日中関係が最も悪化したと言われた年に留学し、両国の関係が崩れていくのを実際に目にすると同時に、中国人の思いやりや情の厚さに触れ、彼らの良い所に気づくことによって、留学する前まで私がイメージしていた乱暴でマナーの悪いなど、マイナス面のたくさんあった中国人像がだんだんと変わっていき、しだいにはこの人たちと一生付き合っていきたいと思えるようになりました。そこで、関係が冷え切っている今だからこそ今まで以上にもっと両国民間交流を盛んに行い、多くの日中両国民がお互いに持っている誤ったイメージを変え、相互理解を推し進め、まず草の根から日中友好関係の修復をすることが重要であると思います。将来、私もそのようなお手伝いが出来れば、このプログラムに参加させてもらった恩返しが少しでもできるのではと思います。

 最後に、いつも私がやりたいことに反対せずに理解を示し、留学中も私を支え、応援し続けてくれた両親、キャンパスアジア一期生として私を吉林大学に派遣し、大きなバックアップで私たちをいつも一生懸命になってフォローし続けくれた岡山大学の先生方、一期生として一緒に吉大に留学し、この一年間苦楽を共にした三人の仲間たち、いつも私に優しく接してくれたかけがえのない友人たちにはとても感謝しています。こんなにも楽しく充実した留学生活を送れたのは本当にみなさんのおかげです。これからもこの留学で経験したことを大いに活かし、もっと自分を高めれるように努力し、将来の夢に向かって前進し続けていきたいと思っています。この一年間本当にありがとうございました。

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