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私の見た、感じた、理解した、日本

 キャンパスアジア学生である私は、正式授業の他にキャンパスアジアで行う多様なプログラムなどに参加した。プログラムの理解のための説明会では、共通善·地域とのつながりなどが主な話題であった。夏休み、その実践の一つで岡山県備前市にある閑谷学校に行った。 閑谷学校は、1670年岡山藩主である池田光政が日本最初に庶民のために建てた学校だ。孔廟があるところで、儒教経典の講学が行われた教育機関である。

 国宝である講堂は、荘重でありながらも素早い洗練美を漂わし、学校全体を囲んでいた低い石垣は、丸で素朴な雅趣があった。すべて山で囲まれた秀逸な風景とともに昔の学校の 情趣がそのまま感じられた。

 閑谷学校ではずせない象徴は、孔子廟前にある二株の大きな楷樹である。本来、楷樹は孔子が亡くなった後三年の喪に服しており、孔子墓の傍らにさらに三年間、合わせて6年間を喪に服した弟子である子貢が、孔廟に植えたものである。

 閑谷学校の楷樹は、大正4年(1915)に林学博士である白沢保美が、中国曲阜の孔廟から種子を持ってきて育苗し、日本国内の儒学と関連した学校に分けて植えたことの一つである。

 こうした来歴で学問の木とも呼ばれ、学問と関連した施設で楷樹を植えることを願う所が多かったという。現在、私が勉強している岡山大学図書館の玄関東側にも、図書館が完工した際、植えられた楷樹があり1、秋になると、美しい紅葉の情趣が鑑賞できる。

 閑谷学校の楷樹を見てから、韓国学校の明倫堂の銀杏が思い出した。成均館大学校の明倫堂前庭には、樹齢500年余りの大きな二株銀杏がある。孔子が銀杏の下で弟子を教えていたという杏檀を象徴することで、朝鮮時代最高の教育機関であった成均館に植えたのである。中宗14年(1519)に、大司成の尹倬がこの銀杏を植えたという。 秋になると、明倫堂をすべて黄色に染める姿は、絶対はずせない壮観である。

 楷樹と銀杏が重なりつつ、多くの気がした。日本で数少ない孔廟のある所の一つが、すなわち岡山の閑谷学校で、孔廟前の楷樹が、岡山大学図書館の象徴でもある。韓国で明倫堂の銀杏下を数えきれないほど行き来した私がここに来ることになったのが、非常にうれしくて親密に感じられた。

 韓中日の共通善という漠然とした概念も、このような小さな連結のひもから具体化するようだ。漢字文化圏、儒教文化という共通点に対する認識と文化的同質性を皮膚で確認した契機であった。もしかしたら、東アジア三国のつながりも、こうした文化的連帯感からはじめることができないかという気がする。

 人に初めて会う時、必ず確認することになる名前もそうである。西洋人と名前を交換する時は、互いに名前の発音を正確に確認して記憶するのに止まってしまう。ところが、日本人や中国人に会えば違う。互いに漢字の名前を交換すると、各国の発音は良く分からなくてもその意味に対しては、両方すべて一気に認識するようになる。

 日本や中国の友人たちと初めて会った時、互いの名前に対して、短い印象を話しながら共感できる点が、非常に楽しかった。初めては少しぎこちない雰囲気でも、名前を契機にし、話が続いて親しくなることもあった。文化の共存がとても大きな連帯感を形成することになるのか実感できた。

 

 

 

 

1 畔柳 鎮、「「楷の木」のルーツ談義」、 『岡山大学附属図書館報「楷」』No.5 、1987、6~7面参照。

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