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私の見た、感じた、理解した日本

 私は中国吉林大学北東アジア研究院からまいりました王洪浩と申します。このたび、中日韓3カ国の共同協力により実現されましたCAMPUS Asiaプログラムのおかげて、日本へ来て初めて異国文化を教科書でなく自分の目で体験する機会が与えられました。そして、今まで約半年の留学生活を通じてどのようなものを見たか、どんなことを感じたかについて以下は自分の考えをこめて簡単にまとめて述べさせていただきたいと思っています。

 第一に、自然からじねんへ。「じねん」とは中国古代の呉音で、仏教用語のひとつであります。「おのずからしかる」という意味で、ありがままの状態を指します。西洋natureの訳語「自然」が出てくる前に、日本はいつも中国から渡来してきた「じねん」を使っていました。浄土宗の元祖源空は、「法爾自然」の略語「法然」と号し、法の真理にのっとってそのままになっていく信念を持つ名僧です。また、浄土真宗を開創した親鸞は彼の名作「末鐙鈔」の中で「自然といふは、自はをのづからといふ、行者のはからひにあらず、然といふはしからしむといふことばなり」と解釈していました。それらは近代以来自然を改造する人の能力を強調した概念と違って、人はもともと自然の一部として存在していることと認識されています。

 前月、私が伊勢神宮に伺ったとき20年一度の社殿を建替える式年遷宮を行う時期に当たりました。生き生きとした森のうちに入って参道を歩いていたところ、何か自然への畏敬感が生じてきました。天地自然から生まれた樹木をそのまま利用して、神様の居るところを造営することがたとえ二千年を経っても変わらないのではないでしょうか。子孫万代のために、国家の未来が続けられるため、こんな工夫する努力が必要ではなかったかと思ったのです。近頃、わが国の環境問題が深化し続け、大気汚染の地域だけでなく、影響の日数も増えていっています。そのような状況に面して、政府がどのような姿勢で応対すべきか、我が国以前のような経済発展だけに関心を寄せることが本当に正確なのか、そして、これからどうすれば経済発展と環境保全が両立できるかが今後の中国に取り組んでいる課題だと私は思われます。

 第二に、学歴から学力へ。一般的には学業上の経歴を学歴というのに対して、知識だけでなく、モノを学ぶ能力を持つことが学力と称します。普通では学校教育をうけ、学歴を有する人が山ほどあると思いますが、その中ですべてが学力を着けるとは言えなかったのです。なぜならといえば、学力とは人の考えであり、思想であります。そこで、高学歴は決して高学力とイコールではありません。同じ学校、同じ学科にしても卒業後社会への適応性がそれぞれ違います。その要因はまさに学力の高低、自我認識の有無にあります。すなわち、単に学校での授業履修のみならず、見学など学校外の活動にも積極的に参加し、社会の様子をしみじみと感じることが重要です。今回CAMPUS Asia事務室より組織された見学活動がその代表的一例であります。社会との接触を通じて、社会がどのような人材を求めるか、自分の趣味が一体何か、そして自分が学んだことをどういうふうに活かすかがわかるようになります。

 中国では若い者がみんな名門大学を目指して頑張ってばかりしていますので見学の機会が少なく、体験のチャンスがそれほど多くないのです。そういうわけで、大学から出て社会に初めて入る新人たちは、さまざまな問題に悩んでいて、厳しい社会不安の一因となります。それを改善するのにやはり以前のような学歴重視から学力の育成への転換が必要です。学生たちが自分の独立性を意識し、社会の中で自分の能力に相応しい位置づけ、ささやかなりとも自分のできることをできれば、国家復興を実現する必要な力となるのではないでしょうか。

 まもなく、私たちの留学生活も一応終わりとなりますが、この異国体験、異国から学んだことをそんな簡単に忘れることはないと私は信じています。自分が見たこと、感じたことそして理解したことを全部そのままに我が国の若者に伝えることが私たちの責任であり、義務であります。

 以上

ご清聴いただきありがとうございます。

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