学習レポート

Students' Report

Home  >  学習レポート  >  セミナー・ワークショップ  >  2014CA中韓留学体験ワークショップレポート

Students' Report 学習レポート

セミナー・ワークショップ

 

2014CA中韓留学体験ワークショップレポート

 約一週間にわたるワークショップが終わった。あっという間に過ぎた日々だったが、様々な場所におもむき色々なことを感じ、考え、互いに意見を交換し合い、体も頭もくたくたになるような刺激的な毎日だった。参加してよかったし、このワークショップの前と後で自分の中で変わった部分も自覚できて世界が変わって見えるのがとっても面白い。

 渡航前にそれぞれが語ったワークショップに参加した動機はバラバラだったが、全体としては「共通善」というテーマがあった。渡航前には頭の隅っこに追いやっていたこの曖昧模糊とした、聞いたこともなかった単語は皆を悩ませまただけでなく、全体をつなぎとめる役割も担っていた事に今では気づく。それぞれの場所で感じ取ったこと綴りつつ自分にとっての「共通善」は何だったのか述べていきたい。

 まずは中国。それまで行ったことのなかったかの国に対するイメージは、汚い・反日感情を持っている、その程度だった。船上での話し合いでもみんなその程度の印象しか持っていなかったようだ。青島についていえば世界史でドイツの占領下に置かれていたことは辛うじて知っていたぐらい。行くなんて夢にも思っていなかったくらいの土地だった。実際に行ってみると到着直前の船のデッキから見た街は高層マンションがバンバン建ってて大都市のようで少し圧倒され、自分のイメージは間違っていてきれいな街なのかなと期待。しかし遠目に見た街はきれいでも、空港から一歩出た先の街の姿は乱雑というか決してきれいではなく、さらにバスで街中を行くと汚いというより数十年前で時間が止まってしまったような街並みの中に自動車が停まってたり新興住宅が建っているような混然とした街がそこにあった。その後の中国滞在を通して感じたことだが中国は貧富の差が激しいようだった。またお金をかけているところとそうでないところの差がはっきりしていた。人々の服装もイオンや百貨店の客は日本と遜色なかったし、車も高級外車や日本車も見かけた。一方でタクシーは何十年も前の年期の入った車だったり、運転手の手袋がボロボロの軍手だったり、だけど業務は最新のスマホを使っていたりとなんだか奇妙な混沌がそこにはあった。そこではじめて実感というか腑に落ちたのが「一億総中流」という言葉が日本を言い表している(言い表していた)ということだ。異文化に接し自分の中の言葉に一つ実感がのっかった瞬間だった。

 このワークショップの最大の目的の一つでもあった学生交流は最も刺激があり、また自分たちの想像と全く異なるものになった。中国海洋大学ではまず講師の王先生にお話ししていただいた。日中関係を中国側からの視点で語ったのを聞いたのはこれが初めてだったと思うが、両者の間で頻繁に問題になっている戦争責任などと現在の交流とは切り離して冷静に考えるというスタンスを取ろうと努められていたことにはほっとさせられた。日本人のほうが随分と中国に対して身構えているのかと感じた。その感想は学生交流でさらに顕著になったと思う。私たちの多くが中国人は反日感情を持っており、戦争の話題はタブーだと思っていたが実際は過去と現在を切り離して考えている学生が多いようだった。もちろん日本語を学んでいて、日本に対していい印象を持っている学生が多かったのだろうが、それを差し引いても以前の自分たちがいかに限られた情報から中国観を作り上げてきたかを実感せざるを得なかった。他にも彼らの話す日本語はとても上手で本当に驚き感動させられた。と同時に中国語をほぼ知らない状態で訪問した自分たちの甘さも痛感させられた。

 中国滞在中にもう一つ思ったのが歴史と街の関係だった。青島はかつて小さな漁港であり、次第に軍港として栄えドイツ、日本に占領されたという歴史を持っている。観光で訪れた小魚山の建物には魚をモチーフにした装飾が至る所にあり、この街が豊かな漁場を有していたことを想起させてくれたし、工場見学で伺った青島ビール工場はドイツの影響を直接感じた。また何度か利用したタクシーはフォルクスワーゲンの車でここにもドイツの影響を見て取れた。普段日本で生活していて過去の出来事が現在の街に影響を与えているなんてなかなか感じたことがなかったが異文化に接すると自分の姿がよく見えるようにもなってくるものなのだと感心した。

 所変わって韓国では滞在期間が短かったがその分一つ一つのインパクトが強かった。まず初日に行った釜山近代歴史館でのこと。日本による統治の責任を追及するような展示館で正直びっくりしてしまった。中国では日本との歴史を公の場で発信しているようなところにはあまり行かなかったから中国よりも韓国の主張のほうが激しく感じられ一層衝撃的だった。その後巡った忠烈祠や国立博物館でも日本を非難するような内容が目につき、少し心が痛んだ。日本人の私からすると主張が一方的だと感じたし、フェアでないと思ったのも事実だが、それを国が主張として発信できるのが発展を遂げた国のやり方なんだなと思った。その点でいえば日本も一方的な発信を堂々としているのかもしれないし、近い将来青島のような地方都市でも日本に対して強いメッセージを含めた発信もあるのかもしれない。

 一方でメッセージのとらえ方にも違いがあるように感じた。かつての日本人の起こした残忍な行動や戦時中の蛮行を説明されると私たちは自分が責められているような気になってしまうが、説明してくださった人たちの様子を見るとそこまで刃をこちらに向けているわけではなく事実は事実であると割り切っているようにも感じられた。歴史とうまく付き合いきれてないような気がして自分の未熟さを感じていた。

 東義大学では短い時間だったが教授のお話に学生交流と楽しく刺激的な時間を過ごせた。特に印象に残っているのが李先生がまとめてくださった日韓両国の互いの国に対する印象の変異を丁寧にまとめてくださった表だった。隣国である韓国について無関心だった日本が徐々に相手を知ろうという態度に変化した様子、日本からの傷を負った韓国が矛盾を抱えながらも日本と付き合おうとし交流が生まれてきた様子はそれぞれに素晴らしい姿だなと思った。やはり最も近い隣国であるのだから仲が悪くなりながらも、それじゃあ気分が悪いから何とか笑顔で付き合っていこうと努力しなきゃいけないのだろう。

 渡航前自分は「共通善」とは互いの善とするところの共通部分であり、数学でいうところのベン図のようなものを想像していた。したがって互いに共通し合える部分は少なくそれはとるに足らないものなんじゃないかと感じていた。しかしその考えは全く変わり、「共通善」とは相手を知ろうとすることを通じ自分の在り方を見直すことができ、その姿を互いに提示し合うことではないだろうかと考えた。その際大事なことは胸を張って自らの姿を提示することだと思う。もちろん虚勢ではなく。それだけのものを提示して受け入れられなかったらそれでいいし、間違っていたらまた見直せばいい。互いにブラッシュアップしていき上を向いていく姿勢が自分にとっての「共通善」に対する答えだった。価値観や自分の置かれた状況が目まぐるしく変化する現代で国家間の在り方も複雑になっているがこの「共通善」の考え方で相手と接すればさらによい関係が築けるのではないかな。

全てのセミナー・ワークショップへ  全ての学習レポートへ

このページの最上部へ