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 私はA班のテーマとして、日中韓の文化差異について考察した。そして、文化差異を両国の人が理解できないことで結果としてそれが他国に対しての偏見を招く根幹となっていることもわかった。異文化を理解できるためにはまず自分の中にある世界が大きくある必要があると思う。ここで、自分の中にある世界とは何か。それは、いわば自分が培った自分の中にある常識や自分が体験したがゆえに得られる経験の多様性のことである。自分が何を考え何を思うかというのはこれまでの経験からしか判断できない。いわゆる自分の物差しというものだ。そして、これらはあくまで自分が生活してきた生活環境に大きく左右されるもので自分がいくら物事を客観的に判断しようと心がけようが、それはあくまで日本人としての客観性に過ぎない。どれほど客観的に判断したつもりであれ、誰であれ、日本で生きてきた以上は常に日本人としてしか世界を見つめることができないのだ。日本人なら当たり前でも、他のくにのひとにとっては非常識なことだったりする。もっと言えば、人それぞれ生活環境は違うのだから世界に対しての見つめ方など70億通り以上あると言えるのかもしれない。ただここでは、他国に対してのものの見方について話を絞りたいので、愛国心や宗教、生活様式によって形成される自分という存在について日本人の尺度でしか世界を捉えられていないという意味での話をしたい。

 ではどうすれば、より世界を俯瞰的に見ることができるようになるのか。まず第一に自国について知ることが必要だと思う。それには自国の中で自国を見つめることと他国から自国を見つめ直す必要がある。はたしてどれだけの日本人が自国の歴史に対しての自分なりの意見を持っているだろうか。日本の若者は自国の政治についてですら無関心であると問題視される中、他国との過去の歴史に対してなどそれほどの関心はないのではいかと思う。日本人があまりにも日本の社会問題や歴史問題をないがしろにしてしまっている。さらに、日本ではあまり重要視されない歴史も他国では驚くほど深く詳細に教育が行われていたりする。特に、植民地や侵略、敗戦など負の歴史に関わる問題の時、国が文化財保護を行ったり、歴史資料館を作ったりすることもよくある。他国から自国を見つめ直した時はじめてきづかされる歴史問題も少なくない。いずれにせよ、まずは知ることが大切である。自国からも他国からも日本について学ぶことで、日本の現状というものが見えてくると思う。その時初めて、例えば首相の靖国神社参拝がどうして他国に非難されているか、また逆にどうして日本が非難されなくてはならないかわかってくると思う。

 次に大切なのは自分なりの考えを持つこと。一人一人が過去を知り自分の考えを持っておくことは他の国々との建設的な関係を築く上で重要なことだと思う。自分の考えがなければ周りに流されて人の意見を鵜呑みにしてしまい偏見を抱くようになってしまう。歴史を知った上で自分の考えを構築しその結果、国を嫌いになってしまうことと、ただ他人の考えに影響されるだけで国を嫌いになってしまうことでは全然意味が違ってくると思う。善悪の判断をくだすのはいつも自分であるべきだと思う。先ほどの靖国神社参拝の問題も同じで、戦争の歴史を日本で勉強した後は、他国の歴史を勉強したり、日本の歴史を他国から勉強することで、自分の考えを獲得できると思う。メディアに流されるだけで自分の考えを持たないのは確かに楽かもしれないが、それは同時に社会を良くするために何をするべきか考えることをやめてしまうものだと思う。良い社会を作るためにも人それぞれが自分の意見をもち議論して協力することが大切だと思う。

 

TAをして感じたこと

 今回私はリーダーとして人の模範となるような行動を心がけてきたつもりだ。いつもの私は10分前行動ができていないために、例えば予期せぬ事態が起きた時、遅刻してしまったりして人に迷惑をかけてしまうことが多々あった。しかしこの研修では常に責任ある行動をとってきたつもりである。またリーダーとして遅刻した人を叱らなくてはならない時もどのように注意すれば良いか判断するのが難しかった。本心では叱りたくないが立場上メリハリをつけるためにも私がしっかりしなくてはならなかった。これはリーダーを務めなくては得られない貴重な経験だったと思う。ただ一つ言えることは、人を叱る立場にある人間は、まず自分がルールを守らなくてはならないということだ。人には言うのに自分はできてない人には誰も従わないだろうし従いたいとは思わないと思う。その面では仕事を果たせたと信じたい。人をまとめる仕事は想像以上に大変なことだったと実感した。またグループディスカッションではディスカッションをどのように進めて行くか、一人一人の学生が主体性を持ってそれぞれ発表するためにはどのようなプレゼンテーションをすれば良いのかを考えながら予定を計画した。残念なことに最後に私が全グループのディスカッションのまとめができなかったのは、自分のTAとしての力不足を感じるところであった。しかし、何よりもよかったのは私の当初の参加目的である、学生全員がそれぞれが抱く共通善の答えを見つけてくれたことである。

 

共通善とは

 私は昨年、共通善とは何かに対する自分なりの答えをすでに出しておりその考え方はこの研修を経ても大きく変わることはなかった。ただそれがさらに深い理解へと発展した。昨年の研修で、私の中の共通善とは皆が偏見を捨てることで同じ世界を覗いたときに物事の側面だけにとらわれず事態の全容が見えるようになることで同じ、共通の世界が見えるようになることだと考えた。では、全ての人が偏見を捨てられないとしたら共通善は叶わないのか。共通善とはただの理想なのか。

 「正しいと思う」とは自分が物事をどう捉えるかで決まるのであって本当の正義なんてものは存在しないのかもしれない。「 誰にとっても善いこと」はこの世界に存在するのかどうか私は知らない。どんなに素晴らしいことをやろうとそれはどこかの誰かにとっての都合の悪いことに繋がっていると思う。私が正しと思ってやることはだれかの不幸につながることかもしれない。同様に、日本が正しと思う道に進んだとしても他国にとっては正しい道に進んでいるとは思われないことがあるかもしれない。

 もしどちらかが正しくてどちらかが間違っていると考えるなら共通善は見つからないと思う。共通善はどこにもない何かを探すことに似ていて、その答えらしい答えがないものだと思う。それでも見つけなくてはならない大切な指針でありそれを探し出すというその過程に意味があるものなのかもしれない。次の世代を担う世代が未来に向かって国家間の建設的な関係を築こうと、あれかこれかと真剣に答えを模索するその姿勢が共通善はじまりなのだと思う。

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