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‘繋がり’を考える、文化それと成長

0. はじめに

レポート(レポート)とはいえ、もう少しリラックスして自分の経験とそれによる成長、勉強を通して学びたことに関する自由な文章ができたらいいと思いながら書いた。母国語で先に書いて日本語に訳する文なので、文の内容が少しばらばらになっていることもある。学期中日本語または英語で書くレポート(長いのも短いのものぜんぶ合わせて毎週少なくとも三回以上)に押されていたが、再び使う自分の国のことばで文を書くことに妙な楽しみを感じている。無駄な話だが、無理やりにする理由は半年間の留学生活を通して経験した最大の経験と同時にその核心が多言語、多文化とその中で位置されている個人としての自分自身にあるからだ。

1. 生活と言語

異国の言語を学び、それを上手に使用するために練習することは、非常に実用的なレベルの問題でもあるが、同時に、その言語を探って理解して私ほど別の何かがその中に置かれていることを少しずつ実現されることもある。これまで自分が使ってきた言語のみでは考えとか表現しにくかった何かを色々な言語たちをまぜながら現在化した。もちろん少し副作用もある。例えば自分の国のことばだと軽い会話をするとき二つ以上の言語たちを混ぜて使うミスとか。以前からこのような一連の過程を楽しみながら外国語を学んできたが特に岡山で一連の融合の楽しさを感じながら自分の外縁を広げる過程を体験することができた。平日の毎日日本語の授業と専攻の授業学内活動とともに生活を通して学ぶ日本語は不足な私の日本語能力を成長させるのに多くの助けを与えた。まだまずいスキルだが半年間の岡山留学が自分の言語能力を成長させ大きな助けを与えたという点には異論がない。特に楽しかったのは日常の生活や旅行などを通じて日常から使っている漢字語を学びあと学問的活動でも使われて応用される快感を感じることもできた。

2. 学業

語学授業以外にいくつかの文学哲学歴史文化関連の授業を聞きながら自分に足りなかった思考の幅を拡大していった。イギリスの近代小説を読みながら不足していた英米文学の知識と語学力を確保して時事英語でその能力を補充した。米文化史の授業を聞きながら自分のアメリカでの生活を振り返りその時に考えてみなかったことを再び発揮して事故して見ることができた。学習したことのない中国の漢詩授業を受けて中国の古典と漢字文明圏を通じた先祖の’つながり’を考える同時に現代の自由な詩の芸術性を当時の定型詩と比較してある程度混乱な考えを取りまとめすることができた。地域文化の授業で岡山の地域文化の発展面同時に維持するための努力の程度を見て学ぶことができたそれと現在の韓国のソウル圏域の人口集中の問題とその解決策について絶えず考察してみることができた。歴史文化的背景などの特性をマスコット、特産品などの文化商品に価値を再評価再創出しプロモーションアイテムを通じて全国民にその感動と認識を持つようにすることが特に印象的だった韓国地域行政団体はこれについて日本のことをもっとベンチマーキングする必要があるという考えをした。すべての授業が楽しみの連続でしたがその中でも特に最も楽しかった授業は寺岡先生のドイツ言語文化学講義の授業だった。近代理性の発現と再発見以来分節されたいくつかの学問体系の中で歴史学の位置とその役割最初の歴史’哲学’に登場しそれが人類の考え方と実財の歴史の内容にどのような影響をさせたかをドイツの哲学、文学、歴史家たちを一人ずつ調べて歴史の主観を再構築していく作業をする授業であった。先生の素晴らしい講義自体も印象的だったが何よりもキャンパスアジアと関連して言うべきのクラスだった。韓中日三国が直面している政治的な対立の場合には最終的に民族国家の利益 – その内面に隠れている個人の生存本能と国家と民族の利益が自分の近くに作用するという利己主義も考察の対象だが- と関連した歴史的正当性、いわゆる大義名分の確保のための欲求が存在する。国家存立のための今後の活動の正当性の裏付けそしてそれにより国家が存立するのに大きい力として作用する若い次世代の人々に活力と伝える問題がかかっているので歴史問題を簡単に譲歩したり気軽に他国の視点の存在正当性を認めず平行線を走るような状況が演出されているだと思う。解決だと言うには足りないが少なくとも歴史の哲学、哲学としての歴史の存在を学び、歴史を単に事実記載の記録ではなく特定の人たちの主観が介入されておるのを認識してそのような主観が形成される影響を及ぼす環境要因の機能構造を認識可能であればどうなるか。少なくともこのような形の学問体系が存在し私たちは無意識のうちにこれらの影響圏の下で生きていながら必要以上に興奮して怒って特定の主観の集合に揺れたりもしていることを知ることができた消耗葛藤と感情の消費が減らないかを考えてみた。国家と集団の立場では前述した存在的な理由と正当性の確保のための争いをどのくらい持続していきそれの葛藤と対立の場所の上に自分の位置を置くことしかできない側面がある。しかし個々の人々が前に話した内容の学習を通して自国の歴史がどのように使われそれが自分の主観で再構築していく過程を評価批判する作業をすることができれば必ず自分の考えだけが正しいというのを捨てて相手の話にもう少し聞いて自分の外縁を広げる機会を得ることができるかもしれないとその授業を通して考えた。

3. 文化と未来

面白い話を一つしてみたい。数回の留学経験や海外生活で感じたことだが多くの若い海外居住者が特定の国に行くきっかけは第三者の見る目にはとんでもないほど微妙なところにその理由があるときが多い。一般的にマスコミと呼ばれるTV 、インターネット上の文化商品の消費とそれによって得たインスピレーションが商品の著作権を保有しているその国のへ関心に自然につながってその人が後の選択と行動をするとき影響をされその国の言語と文化を勉強して最終的にはその国に直接行ってみる留学生活につながる場合を多く見た – ないふりをする人々の中にも調べてみると実はこの理由で自分の留学生活を始まった人が多かったこれは事実である。夏のサマースクールの授業活動のために車で移動している途中韓中日の学生がそれぞれ自国の歌を歌ってドラマや芸能人の話をしてお互いに共感を形成することは一見なんもないことだと見えても実はキャンパス·アジアを通じて明らかになった三国の未来の形成に大事なポイントだと思う。ほとんど話している主張(巨大談論) それに対する反論そしてあらかじめまた再生産する話の再現もやはり重要である – 私がこれまで書いた話もそれに違ないと思う。しかし、またお互いの小さなコンセンサスの形成こまごまとした文化的交流がお互いのために’関心’をもたらし、人が、特に若い世代を介して形成されれば、彼らは後に成長して各界各層で自分の役割をしていくと過去の若い時代の経験と優れた相互の良い思い出を考えながらもう少し他国を理解し寛容する姿、譲歩しようとする姿を見せることができないだろうか。このような小さな変化が集まって現現化されるときはじめてから話して来た三国間の真の交流と理解がなされていると思う。

文化という言葉が包括する内容がますます拡大され同時に単語自体の定義がますます曖昧になっているが、それだけそれに対して深い関心を持っており、これにより人々は喜び、幸せそうな姿を見て、生きがいを感じながら生きていきたいと思う。上記のような事故の展開が可能にしてくれた半年間のキャンパス·アジア留学プログラムは私の将来の建設の強固な滋養分にしたものと信じて疑わない – 本気だ。ここに住んでいる間面倒をみてくれた先生たちと事務賞の皆さん、学生や友人、生活や旅行で出会った多くの人々に感謝を申し上げ文を終わらせる。

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