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日本で感じたいろいろ

 中国で二年間以上日本語を勉強していた私は、ずっと前から本物の日本、礼儀正しい日本人、生きた和文化をこの目で見て、心で感じるという夢を持ってきた。よく友達と将来の道を話す時に、日本へ留学に行きたいと答えた。この度、キャンパスアジアプロジェクトを通じて、ようやく岡山大学で勉強する念願を叶えるようになった上、まずここでキャンパスアジアプロジェクトをサポートしてくださった多くの先生方々に心から感謝したいと思っている。

 以下は日本で経験したことによって私なりの考えを述べたいと思う。

 まず、文化的な面では、一週間おきに受けていた「地域文化演習」の授業で伝統文化における自然から人間への恵みや歴史に残された文化財の大切さが感じたことができ、その上自分も驚かされたほどだんだん日本式の考え方に影響されてきたことに気づいた。たとえば、日本に到着したばかりの時、私には日本の多くのところになじめなかった。例をあげると日本の「音」である。住宅街は静かでまるでみんな空き家のようだ。電車に乗る時も買い物する時も日本人は誰も大きな声を出さずに静かに行動している。公共場所でみんなが忙しくても誰も社会の秩序を乱そうともしない、騒いだりしている人もいない。ここは本当に静かで、不思議な国だねと私は最初にそう感じ取った。しかし、いろいろ「不思議、不思議」と思いながら、「地域文化演習」の授業を通じて書道や華道や茶道も経験したことができるようになった。今は修身文化の一種として人に認められている。それらをする時は必ず心が動いてはいけない。というと、世界の万物が動いても心が静かな水のように動こうもしなかったら、全世界も静まり返った世界である。それこそ和の思想であり、日本文化の特徴でもある。

 また高田織物株式会社への見学や金刀比羅宮への参拝などなどが行われていたことによって。日本で様々な文化財が残され、現代社会に影響をもたらすと同時に、われわれが知恵を得、もう一度この社会を考え直すきっかけにもなる。「吉備の国」もその文化財のひとつである。もともと、おばあちゃんとおじいちゃんの桃太郎物語しか聞いたことはなかったが、岡山に来てから温羅と吉備津彦命の物語も耳にした。「一応岡山県の人間として、桃太郎の精神も身につけなくちゃ」と考えていた私たちがおいしい桃を食べながらこの晴れの国の暑さを凌ぎできた。さぞ、その暑さが皆さんはきっと覚えているでしょう。

 ここにいる半年の間、広島や京都など有名地も行ってきた。「ああ、不思議だね、何百年前の日本人も私たちと同じ気持ちでお寺でお祈りをしたり神社で参拝したりしたんだ、これが日本に来たこそある醍醐味じゃないのではないでしょうか」と感じた。古い神社、古い街、古い習慣、いろいろな歴史的なものから感じ取ったのは気持ちだけではなく、または昔日本人たちの知恵と想像力でもある。私たちは日本でいろいろ伝統文化の体験によって「こんなに豊かな土地があるんだ」と改めて日本の美しさを再認識し、又自然と人間のあり方もいろいろ考えさせられた。日本だけでなく、中国もこれからもっと伝統文化を重視し、自分の宝物としてその優れた部分を相続し発展していくべきではないでしょうかと考えさせられた。

 また、いろいろ小さいことからも日本文化を感じることができる。たとえば、私の不注意で向こうから来た自転車に気づかなかったので、ある日本人の学生とぶつかったことがあった。すぐに誤ろうとする時は逆に向こうからすみませんって誤った。私は一瞬ボウとした、私のせいなのになんで日本人が誤るのと戸惑った。そんなことは何度もあって、うちの日本人ルームメートからもいつも「ごめんなさい」、「すみません」という言葉が出てくる。友達にも聞いて、自分も考えた上やっとわかるようになった。それは他人に迷惑をかけたくないためだと思われている。また、面倒だから人と喧嘩したくないし、時間の無駄遣いにもなるし、誰のせいにしても早く誤ってから面倒の場面から離れたくないわと考えている。それと相応しているのは日差しがいくら強くても傘を差さずに歩く、狭い道には絶対一行列に並ぶなどなどということである。

 次に、東アジアの視角から見ると、この「東アジアの共通善」というのは、「東アジア地域に住む人々の共通の利益を図ること」という意味を含んでいて、またもっと重要な意味は個人の利益と共同社会の共通利益の同時的追求、バランスを保った追求、すなわち正義の追求と定義されていた。つまり、日本にいる私たちにとって、専門分野の知識を勉強するだけではなく、異国の歴史への深い理解や学生同士の実生活上の交流が極めて大切だと思われている。

 また、今度のサマースクールを通じて、「共通善」への理解ももっと深めてきた。世界の共通善を「東洋」と「西洋」との比較学の視点から見ると、相違点と共通点があるが、双方とも「徳」「人格の完成」、そして「永遠の起源」に命令された規範が存在するという信念への関心を共有している。つまり、もし中日韓三国のことに変えたら、文化や社会の違いを違いとして認識したこそ、違いの奥にある共通価値、共通善も見つけるようになれるのではないでしょうか。そもそも中日韓三国の間で同じく儒教や仏教を信じていて、思想面から見ると似ているところがいっぱいある。またいろいろな交流や派遣によって、文化方面においても似ているところが多い。東洋と西洋の比較にしても、中日韓三国の比較にしても相違点を利用して、みんなで共通点を見つけよう。またその上から認識して、価値がある、新しい思想を提出しよう。

 この半年,中日韓三国の先生や学生たちの交流および討論によって、「歴史認識」の問題について、自分なりの考えも出てきた。「歴史認識」という問題はコインの両面であり、またニワトリとタマゴの関係にも比喩されることができる。つまり、国への愛国心というのはどの国でも同じように利益や国際地位のために、自分側に有利な点だけ発言してしまうということである。歴史認識の問題が解決できないと、国と国の貿易や文化の交流もうまくできないと思う。つまり、過去とどう向き合うかという歴史問題が非常に重要な課題だと思う。ヨーロッパと比べて、アジア諸国間の交流がどれほど不十分だと思って、これからも、もっと交流団体を作って、一緒に努力するべきじゃないのではないでしょうか。例えば、キャンパスアジアの教養科目サマースクールのような、韓国と中国から学生が来て、ここで単位や証明を授与するというような制度にして、また、帰国しても通用するようなチャンスが増えれば、お互いへの交流や、協同も前に大きな一歩を進んだのではないでしょうか。

 もう一つ、これからの道を考えてみると、ただの謝りや責任を取ることだけではなく、お互いの歴史を認識し、また歴史から有意義なものを見つけだすことである。つまり、歴史の中で悪い意味のものだけではなく、われわれ東アジアの進歩や、明るい未来も見えるのではないでしょうか。トランスナショナルな歴史像を求めることは、交流が必要である。歴史というのに対して、もし誰も自分の被害を強調してばかりいると結果はできないと思う。だからわれわれが交流によって、トランスナショナルな歴史像を求めることにがんばりたいと思う。

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